集まりシェアすることで、新たな価値を生み出したい

ぐるぐる応援団代表 鹿島美織インタビュー (聞き手:WiA 加藤徹生、山本未生)
WiA Forum 2012 8.18 トークセッションより

プロフィール:リクルートを退社後、プロモーション事業を行う㈱アネモアを設立。ディレクターとして活躍するが、震災後に向かった被災地で生活を支える移動手段がないことに問題意識を感じ、「ぐるぐる応援団」を立上げる。避難所や仮設住宅からの移動支援、就労支援活動を実施。

通学に片道2500円。被災地の交通事情に「ぎゃふん」

———最初の出会いから振り返りましょうか。(加藤)

カトテツさんに最初にお会いしたのは11年の7月、石巻にある渡波(わたのは)小学校でした。2000人が避難していた場所です。小学校の裏に、窓が割れてホコリが舞うボロボロの建物があり、ここで加藤さんから3〜4時間のヒアリングを受けました。

ミオさんと一緒にやってきて、怒濤のように話を聞いて帰った人、というのが最初の印象です(笑)

———震災直後、東北にはボランティアで入られたんですよね。(加藤)

フリーランスでプロモーション関連の仕事をしていました。3月11日は東京の仕事場で地震に合い、その日は余震がきたときのために靴を履いて寝ました。その後、ボランティアとして現地に出向き泥かきを始めましたが、地元の人と仲良くなって帰れなくなりました。

———鹿島さんにお会いしたいと思ったのは、被災地の交通問題について書かれたブログがきっかけです。なぜ、そこに強い思い入れがあったのですか。(加藤)

私が運転免許を持っていないからです。ボランティアに行くにも、いま仕事で石巻に行くにも、誰かに「迎えにきて」と頭を下げないと目的地まで辿りつけない。現地の方も同じだろう、と思ったんです。ですから震災直後は、免許を持っているボランティアさんと片っ端から仲良くなり、避難者を病院や学校に運ぶ支援を始めました。

———他に、現地の方がお困りのことはありましたか。(未生)

通学です。交通手段がなくて、学校に通えていない子どもたちがいました。車と家を流され、親戚の家に避難している家族から「タクシーで通わなければならないので、片道2500円かかる」と聞いて、「ぎゃふん」とショックを受けました。

———通学に往復5000円。(加藤)

でも、この話には続きがあるんです。タクシー代が出せないために、不登校になった子どもがいると聞きました。学校に行かないと授業についていけないから、さらに不登校になる。「ぎゃふん、ぎゃふん」と、私は2回連続でショックを受けました。

リクルートで「ガチ」で働いてきた。社会起業家と呼ばれてビックリ

———送り迎えは、順調に進んだのでしょうか。(加藤)

ボランティア頼みでしたから、すぐに限界がきました。彼らにも生活がありますし、時間がたつに連れて地元に帰っていった方も多くて。雄勝地区の南三陸観光バスと買物バスをはじめましたが、1日に3〜4万円のコストがかかりました。寄付で集めても、あっという間に飛んでいってしまう。被害額は1億6千万円以上の会社さんで、コストを下げる訳にもいかない。それで、早い時期に挫折しました。加藤さん、山本さんとお会いしたのは、その頃です。

———当時の鹿島さんは、民家で子どもたちに囲まれて生活をされていました。元々はビジネスセクターで活躍されていた方が、地元のニーズを熱心に聞き、真摯に答えておられた。ご一緒したら面白いものが生まれそうだと感じました。(未生)

———私にはどんな印象をもたれていましたか?(加藤)

自著を出版されていると聞いて、本を書く方だと思っていました(笑)。私の本業はプロモーションなので、調査の過程でインタビューをすることが多々あります。でも突然3〜4時間のヒアリングをされたのは初めてで「いろいろな人がいるんだな」って。でもその3日後、経産省の助成金の話をもってきて頂き、「本を書く人ではなかった」と知りました(笑)。

「集まり」「シェアする」ことでお金ではない「価値」が生まれる

———鹿島さんが行っていることは、リソースを集めたら他の地域でも転用できることなので、素晴らしいことだと感じました。(未生)

———そうですね。結局日本でやっていることが世界の問題解決につながらないと。(加藤)

でも私は、かとてつさんに「世界」とか「社会的インパクト」と言われると、正直「チッ」と思っちゃうんです(笑)。別に「インパクト」のためにやっている訳ではないのに、と。

また今の私には「社会起業家」というラベルがついていますが、それにも違和感があります。震災前、私はリクルートで「ガチ」に働き、その後もフリーとして「ガチ」で働いてましたから・・・。ビジネスの世界にいたので、お客さまのニーズを叶えることには一定の自信がありますが、いまの事業は「被災した現地の方のお役に立ちたい」というウオンツから始めただけ。「社会的起業」を目指したわけではありません。

でも、いま進めていることは社会的意義やインパクトを考えないと立ち行かないのかな、と思い、カトテツさんには抵抗しながらついて行っています(笑)

———私は社会的な変化は個人の変化から始まると思います。私は普段アメリカにいるので、鹿島さんとお会いするのは1年ぶりですが、とてもイキイキされていて嬉しかったです。(山本)

なるほど。でも社会的活動といっても、なかなか一筋縄にはいきませんね。その後わたしは「ぐるぐる応援団」というチームを立ち上げましたが、「ぐるぐる」が「物事が前に進まない」という意味に感じることもあります(笑)。現実問題、レシートの束は増えていくし、今月の出費は百万を超えましたし、寄付を頂いたときにどうするのかも分からない。思わぬものに振り回されています。

———でも、きちんと結果も出されていますね。いまの状況を教えてください。(加藤)

子どもたちが学習機会を失わないよう、学校への送迎バスを運行しています。こちらは東日本大震災復興支援財団さまのご支援を頂いています。また地元のスーパーから協力を頂き、仮設住宅から買い物に行くための「買い物バス」も走らせています。また「いしのま★キッチン」というコミュニティレストランを立ち上げました。被災された方々の就労支援が目的ですが、日々のランチタイムをみんなと共有することで生まれる価値もあると思います。

———ただの就労支援ではないのですね。(加藤)

「ぐるぐる応援団」のコンセプトは「集まること」「シェアすること」です。人はひとりで沢山のことをします。料理して洗濯して仕事して・・・でもみんなが集まり、「私は料理」「あなたは洗濯」と仕事をシェアすれば、人と人の関係が生まれます。お金は生まれなくても、まさにぐるぐると価値が回るのです。

目に見えない価値を、今後も生み続けたいと考えています。

文:齋藤麻紀子

 

「一緒にやっているお母さんたちからエネルギーをもらっているのっ」と息を切らしながら話す鹿島さん。 ”社会起業家”が被災地から生まれるのだ、という可能性に賭ける気になったのはなぜか?と言われれば、いつも、鹿島さんの言葉と笑顔が浮かんできます。僕は「できないことを約束する」のが社会起業家のとても大事な特性の一つだ、と思っているのですが、僕にとって、まず、それをやって見せたのが鹿島さんでした。できないと言われたことに、愚直に挑戦し、かつ、変化を見せていくという仕事の仕方。
被災地には変わらず高い壁が立ちはだかっています。だから、それを乗り越えるようなイノベーションが求められているし、それに愚直に挑戦しつづける起業家がいる。そこには「できない」と言われたことに挑戦する必然性があって、だから、東北の未来は面白いのだと思います。(加藤、あとがき)

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